中村建設株式会社は、おかげさまで60周年。今までも、そして、これからも。

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限界への飽くなき挑戦

【岡崎出雲殿新築工事】
過去最高の請負金額で入札した岡崎出雲殿新築工事。
それは、工期150日間という限界に挑戦する社運を懸けた一大プロジェクトであった。

昭和から平成へ移り変わり、時代はバブルへと突入。1989(平成元)年の暮れに受注した岡崎出雲殿新築工事は、過去最高の請負金額で、創立35周年を飾るにふさわしいビッグプロジェクトとなった。ただし、オープンまで時間がなく、中村建設の総合力で立ち向かうしかなかった。本社と名古屋支店の合同チームで挑んだ工事は、台風の襲撃にも屈せず、予定より早く完成した。社運を懸けた工事で得た自信と誇りは社員たちの財産となった。この成果を受け、翌年には浜松出雲殿の新築工事を指名されることになる。

■浜松本社と名古屋支店による合同チームで対応

1989(平成元)年、競合で入札した岡崎出雲殿新築工事は、社運を懸けた一大プロジェクト。請負金建築部史上最高額に加え、150日間という短い工期も前代未聞。他社ゼネコンからは「できるはずがないよ」と嘲笑されていた。
 中村博行所長が中心となり、浜松本社と名古屋支店による合同チームが発足。以前に、春日と瀬戸の出雲殿の全面改修工事の経験があった江川達也も招集されることなった。
 江川は当時29歳の働き盛り。今まで経験したことのない大きな現場で自分の力を試してみたいという期待感と、5か月で本当に完成できるのかという不安が入り交じっていた。
 いざ、現場に入るとそのスケールの大きさに圧倒された。「とんでもないところに来てしまった。先輩はすごい人たちばかり。俺なんかで務まるのだろうか?」

■フロア別作業で競争難航を極めた三次元図面

中村所長はまず、全工程をブロック分けし、基礎、外壁、内装、そして鉄骨のピースに至るまで徹底的に計算し尽くしたタイムチャートを作成した。
 建物は鉄骨4階建て。強固な構造はもちろんのこと、結婚式場という独特のデザイン性を求められることから、かなり難易度の高い工事になることは明らかだった。1階から4階まで、フロア別に現場監督を配置し、内装業者もフロア毎に分けて作業にあたることで、競争意識を持たせた。3階宴会場の監督だった江川は、その斬新な考え方に驚くと同時に、経営陣のこの工事に懸ける並々ならぬ決意を思い知らされた。
 今ならパソコンで簡単にできる3Dの三次元図面も、当時はソフトがなかったため、難航を極めた。天井はすべてカーブの曲線、内装もアールデコが多い。そこで、土木部の山下を呼び寄せ、どこにカーブのポイントを打つべきかを指示してもらいながら慎重に進めた。ドーム型の巨大な天井にクロスを貼ることができないため、白いペンキを塗った。また、二次元の平面図ではイメージがつかめないことから、自分たちで鉄骨造に似せた模型を作り、それを見ながら日夜、社員で打ち合わせを重ねた。

第28回建築業協会賞を受賞した浜松科学館
岡崎出雲殿新築工事受注の2年前の1987年、中村建設は浜松科学館が第28回建築業協会賞(BCS賞)を受賞。大きな自信となった。

■現場はハプニング、エピソード盛りだくさん

9月末には台風の襲撃にも遭った。予報を聞いて危機を察した中村所長がスタッフを集め、夜中に足場の補強作業を行った。ところが、翌朝現場に来てみると、エントランスの吹抜け天井がみごとに落下していたのだ。超特急で修繕作業にあたり、なんとか事無きを得た。江川は、この試練がオープン前で良かったと胸を撫で下ろした。もし、これが竣工後だったら大惨事になっていたかもしれない。みんなの血のにじむような働きぶりを見ていてくれたに違いない神様の恩恵に感謝した。
 5か月間、誰もがほとんど休みなしで働いていたが、もちろん、時には息抜きもした。屋上で花火見物をしたり、毎週木曜日はみんなで吞みにも出かけた。これほどの大規模な工事とあって、住民からの注目度も高く、行く先々の店で話題にされたという。
 「先輩には本当によくしてもらいました。合宿生活も楽しかったなァ。やんちゃもたくさんやったけど、その何倍も働きましたね。辛いけど、やる気にさせてくれる楽しい現場でした」と江川は懐かしそうに振り返る。
 現場は、ピーク時で400人もの人が働いていた。職人との軋轢ももちろんあった。工期も終盤にさしかかり、宴会場のカーペットを敷く間際、音響設備の業者が土足のまま入ってきたのを見た瞬間、普段は温厚な江川が激怒した。「オイこらぁ、なにやっとんじゃ!」。それを見た後輩Sが、業者めがけてドロップキックを見舞うという乱闘騒ぎに。江川をはじめ、スタッフが神聖な現場をこよなく愛していたからこそのエピソードである。

岡崎出雲殿(完成当時)
完成した岡崎出雲殿(1990年)

■プロジェクト成功出雲殿支配人から感謝の言葉も

10月6日、工事は無事完成した。予定より前倒しでできたため、出雲殿の支配人から「こんなに早く完成したのは初めて。開業準備の時間がとれて助かるよ」と感謝された。そして、中建のスタッフから出雲殿の社長に「オープン前に、私たちに最初に宴会場を使わせて欲しい」と直訴したところ快諾を得て、スタッフ、協力業者、さらに近隣住民まで招いて盛大に竣工パーティを開催。費用は施主である出雲殿が全額負担した。
 自分が責任をまっとうしたその宴会場で、多くの人々が笑顔で歓談する姿を見て、江川は感激した。「なかけんの工程管理力、技術力ってすごいなと実感しました。工事が終るのが寂しかったですね。あの現場に携わった人はみんなそう感じていたと思いますよ」。
 中村建設の総合力を注ぎ込んだ岡崎出雲殿新築工事。この工事を経験してからは、どんな規模の、どんな難しい工事でも大丈夫だと自信がついたという江川。「仕事に対する姿勢、考え方、工程の進め方、人と人との繋がりなど、あの現場でたくさんのことを教わりました。今でも僕にとっての教科書であり、財産です」。
 このプロジェクトの成功が高く評価され、翌年には特命工事として、浜松出雲殿新築工事の倍以上の請負金額で施工させて頂くこととなった。

1980[昭和55年]

3月
決算期を変更(3月末より6月末へ)。

6月15日
創立25周年記念式典を挙行。
記念誌「中村建設回想25年」を発刊。
資本金を1億5,000万円にする。

6月
TQC活動の導入を図る。

9月12日
「一誠会」設立総会開催。

11月27日
中国西安市から舗装技術研修団来社
(馬剛団長以下5名)。

設立総会の様子
一誠会 設立総会

1981[昭和56年]

4月14日
中国研修団、総合実習訓練として、豊岡村日中友好親善舗装道路工事を施行。

5月
東京営業所を開設する(所長 西藤善夫)。

6月22日
全国建設産業団体連絡協議会が発足、中村一雄社長初代会長に就任。

7月
KYT「危険予知訓練」活動を導入。

11月27日
西安市舗装技能第2次研修団来社。

中国西安市舗装技術研修団
中国西安市舗装技術研修団山本県知事を訪問
藤森村長と
藤森村長と竣工をよろこぶ
中国西安市副市長訪問時の様子
中国西安市副市長当社を訪問

1982[昭和57年]

2月2日
中村一雄社長、再び静岡県建設業協会会長に推される。

11月25日
第3次中国研修団5名来社。

12月16日
災害防止協議会名古屋支部設立総会開催。

1983[昭和58年]

1月31日
災害防止協議会掛川支部設立総会開催。

11月1日
中村一雄社長、中小企業庁長官から表彰を受ける。

1984[昭和59年]

6月30日
第29期決算において、完成工事高100億円を突破。

11月16日
中村一雄社長、建設大臣から建設業の健全な発展に寄与した功績により表彰を受ける。

1985[昭和60年]

4月1日
東海アーバン開発(株)が発足。

8月26日
中村一雄社長は代表取締役会長に、中村信吾副社長が代表取締役社長に就任。

9月15日
創立30周年記念式典を挙行。

1986[昭和61年]

5月29日
浜松市の昭和60年度優良工事施工業者認定を、土木、建築、舗装、建設企業体の4部門でパーフェクト受賞。

11月7日
中村一雄会長、勲三等瑞宝章受賞。

12月10日
浜松科学館新築工事、中部建築賞を受賞。

1987[昭和62年]

5月25日
私募普通社債(私募債)1億円を発行。

7月1日
東京支店発足(支店長 宗賀元春)。
技術開発室を設置(室長 大場清)。

11月19日
浜松科学館、第28回建築業協会賞(BCS賞)を受賞。

1988[昭和63年]

3月31日
名古屋支店、労働災害の1,500日無事故・無災害を達成。

1989[平成元年]

1月19日
磐田瀝青舗材共同企業体が発足。

6月25日
全社1年間無事故・無災害達成。

12月7日
共同組合アクアテクロップ創立総会挙行。

12月
過去最高の請負金額で岡崎出雲殿新築工事を競合入札で受注。